はじめに糸がありました。
昔々、石器時代の頃でしょうか。我々の祖先のどなたかが、植物の繊維を用いて最初の糸を作りました。次第にその糸が結ばれ、編まれ、指で織られ、道具なども使いゆっくりゆっくり改良されてゆきました。木枠が生まれ、機織り機がそれに続きました。
機織りの原型は現在知られる限り、多くの文明で新石器時代に誕生しています。世代から世代へ受け継がれ、改良され、長きに渡り世界各地で、手織りの習慣は家族や地域を繋ぐ大切な手段でありました。
18世紀に入ると世界中で産業革命が起こり、手織りから機械織へとシフトします。機械織は、早く、正確な柄を安価で生産する事を可能とする一方で、時間と人手を要する手織りは急速に姿を消していきました。
ジャワ島でテヌンと呼ばれる手織りの布は、やはり新石器時代に出現したとみられています。素晴らしい点は、これが今も続いている事です。伝統として残るだけではなく、現代でもジャワの人々の生活と強く結びついています。勿論機械織りに比べると値は張りますし、手織りの機織り工房はやはり姿を消しつつありますが。それでもテヌンは今も人々に大切にされ、身につけられています。
10,000以上の島から成り立つ群島国家のインドネシアは、数百もの民族が固有の魅力的な伝統を持ちますが、HITOHAはジャワ島の手織り布Tenun(テヌン)と、伝統的なストライプ模様の手織り布Tenun -Lurik(テヌン-ルリック)へ主に重点を置いています。HITOHAで扱う手織りの糸は、全て植物で染めています。
ここで手織り工房の話になりますが、こちらは言わばジャワの郊外に佇むサンクチュアリ。入り口を入ると緑豊かな中庭が広がり、鳥のさえずりが迎え入れます。庭の奥では職人が糸を染め、建物の中には一定のリズムの機織りの音が響き渡っています。鳥と機織りと染色の水の音を聞きながら、天窓から差し込むまろやかな陽の中で黙々と機織りする職人達の様子はまるで時の止まった魔法の空間。
HITOHAの手織りシリーズをお召しになる際は、その洋服が、とあるジャワ島の魔法の様な機織り工房で、今も人の手を通して糸から織られている様子を想像してみてください。